被爆75周年原水爆禁止静岡集会

「被爆75周年原水爆禁止静岡集会」 報告      (2020年8月14日 文責 静岡県原水禁)

静岡で原水禁集会を開催

 被爆75周年を迎える2020年、今年は、コロナウイルス感染症の影響により、大規模な集会を広島、長崎等で開催することができず、オンラインによる開催となりました。

 そこで、静岡において原水禁運動の原点を考える「被爆75周年 原水爆禁止 静岡集会」を開催しました。

静岡は原水禁運動発祥の地

 1954年3月1日ビキニ環礁で、第五福竜丸が水爆実験により被爆し、9月23日ついに乗組員が死亡しました。これをきっかけに日本中で署名活動が取り組まれ、翌1955年広島で第1回原水禁大会が開かれ、それまでGHQによる報道統制で知らなかった広島、長崎の原爆の実相が明らかにされるようになりました。しかし、その後、不幸な運動の分裂が起こりました。

原点を問う「被爆75周年原水爆禁止静岡集会」

集会では、黙とうを捧げた後、主催者を代表しての挨拶、高校生平和大使らの訴え、そして記念講演には、「第五福竜丸『心の航跡』」を執筆された元静岡新聞記者の木村力氏を招きし、乗組員の立場から見た「第五福竜丸事件」を語って頂きました。

一般的に、船舶を運行するにあたっての責任者は船長であることに間違いはありませんが、こと漁船となると訳が違います。どの漁場へ行けば釣れるか、判断する責任者は漁労長であり、魚を捕ることを目的としている以上、指図するのは船長ではなく漁労長ということになります。被ばくした第五福竜丸の漁労長は見崎吉男さんでした。3月1日の核実験により被爆し、半年後の9月23日亡くなられた無線長の久保山愛吉さんが、ビキニ事件の象徴的存在として取り上げられ、名前が知られていますが、それだけに他の漁船員のその後の人生に複雑な状況を生み出していきました。

「平和運動は悪いこんじゃない。やるのが当たり前でやらないほうがおかしい、とわしらも思ってる」だが「第五福竜丸のおかげで損をさせられた、心配させられた、迷惑をかけられた、とこの三つは市民の率直な意見として出てくるはずだ」という。「政党・団体は、乗組員を宣伝に使おうとする。…乗組員がいるから平和運動ができるなんてとんでもない話。わしらがいなくても続く、市民の運動にしてほしいだよね。」見崎吉男さんの言葉。(静岡新聞社刊「第五福竜丸心の航跡」より)

若い継承者「高校生平和大使」

第23代高校生平和大使に選ばれた今永歩さん(静岡高校2年生)は、「これまで戦争の痛ましい現実を避けてきた。多くの人に核問題を自分事として捉えてほしい」と訴えました。長崎派遣代表に選ばれた木下桜さん(不二聖心女子学院高校2年生)、と杉木千夏さん(静岡高校1年生)もそれぞれ力強い訴えを行いました。若い平和運動の担い手が成長している、と感じられた発言でした。

批准を求める集会宣言

私たちの運動の原点を振り返り、新たな被曝と向き合わなければならない今日、核兵器禁止条約に背を向ける日本政府に署名・批准を求める集会宣言を採択して集会を終了しました。